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タロウのバカ

本日、大森立嗣氏が監督・脚本をなさった『タロウのバカ』を観てまいりました。

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まずはあらすじから。

タロウのバカ : 作品情報 - 映画.com

「さよなら渓谷」「日日是好日」の大森立嗣が監督・脚本を手がけ、刹那的に生きる3人の少年の過激な日常を描いた青春ドラマ。主人公タロウ役には、本作が俳優デビューとなるモデルのYOSHIを抜てきし、タロウと行動をともにするエージを菅田将暉、スギオを仲野太賀がそれぞれ演じる。戸籍も持たず、一度も学校に通ったことのない少年タロウには、エージとスギオという高校生の仲間がいる。エージとスギオはそれぞれ悩みを抱えていたが、タロウとつるんでいる時だけはなぜか心を解き放たれるのだった。空虚なほどだだっ広い町をあてどなく走り回り、その奔放な日々に自由を感じる3人だったが、偶然にも1丁の拳銃を手に入れたことから、それまで目を背けてきた過酷な現実に向き合うこととなる。

2019年製作/119分/R15+/日本
配給:東京テアトル

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ところで皆さん"意味がわかると怖い話"って、知ってます?表面上だとサラリと過ぎて、でも、話の本質が見えた時「ヒェッ」てなるやつ。本作はそれに近い気がします。この話、もっと若くで観ていたら『で?』『は?結局何が言いたかったの?』となりそうな気が…。思った通り、そうしたレビューもチラホラ。私ですか?とても考えさせられました。まだ"メランコリック"も"岬の兄妹"のレビューさえも書いていない私が、こちらを先に書いておこうと思うほどw最初から最後まで観てる間中、ずっと考えてました。

 

軽くネタバレすると、この作品、とってもバイオレンス。アウトローというよりは、日本の闇。そこが考えさせられる部分なんですよ。。現在、日本では無戸籍の人口が1万人を超えていると言われます。戸籍がないという事は実際、何も出来ないわけです。存在自体を問われる、という事です。誕生日もなければ、名前もふんわりした物でニックネーム程度、学校には行けない、病院にもかかれない、車の免許に引っ越しに、結婚だって就職だってなんにもなんにも出来ないのです😢

 

その、存在を問う、存在そのもの(生と死)に若さとが相成って、生への衝動と同じだけ抱える死への憧憬の念、大人になる過程で感じる焦燥感…等々が絡み、全体的に若いころに誰もが一度は感じる日常の空虚感を訴える作品となっているのですが…戸籍が!ないわけですからね。生きようが死のうが物理的には何も残らないわけですよ。。戸籍が、ないですから…。じゃあ、人の存在とはなんだ、書類上の問題なのか!?となる二律背反。これはまた難しいところにぶっこんで来るやん……w

 

私は早くに親の存在を失っているので、その生き辛さってよくわかるのです。今の時代はようやく色々な整備も整って便利な時代となっていますが、戸籍があったとて、それでも背景がないとなると生きる事にはかなりの困難がありました。例えば部屋を借りる時、保証人が必要で…だとか。ちょっと優しい知り合いのおじさんにそれを求めようものなら見返りに体を要求される…生きるのも嫌になる。それさえ困ったりするのに、もっと、その更に倍、生きてるのか死んでるのか解らないような毎日を環境として与えられる、それって永遠に地獄だろう…と思ったり。

 

小さなニュアンスの違いですが、すき好んで選んだ事で選択の余地が少しでもあった場合での苦しみに対しては『可哀想』という表現で片づけますが、この場合は望んだわけでもなく気づいたらそうだった、こうした場合に感じた感情は『気の毒』と表現するようにしていますが、まさに気の毒で痛々しいの一言に尽きました。

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さて、帰りに主人とこの映画について話していた軽い会話を抜粋。

 

『若さって怖いし、厄介だなw』

「でもそれってお互いに歳とったって事だろうねw」

『あーでもあれか。忘れてるだけで、若いころってあんなもんかw』

「なんならあれ以上に悪かったかもしれないw結構平気で恐ろしい事考えたり想像したりしてたもんねw人なんか簡単に殺せると思ってたしさw」

『それを考えると何がすげぇって監督がすげぇよな。その頃の感情だとかはもう覚えてもないし、客観的にみても、バカだよなーって思う事をそのまんまリアルに伝えられるんだからwもうあんなパワーがない。我々老いるとそれこそ、生きてるか死んでるかも考えないし、とりあえず今死んだら仕事だの家族だのが路頭だろー…とりあえず死なないようにしないとなって思うくらいでw生きてるー!って思う瞬間にも鈍くなるw』

「そりゃもう寒くなってきたし、冷えるしホットにしよ♡とかいう歳だからねw」

『でも、振り返って楽しめるってのはいいよな。大人の醍醐味ってこういう事かもしらん。若いころに見てたら「んで何が言いたいねんっ」言うとったわ。結構若さってそんなもんやで?って冷静に思うもんなぁw』

「だねー。あれさ、映画の中で「好きって何?」って言葉がキーワードになってたけど、大人になって眺めると「世間の言う普通って何?」って方が先に立ったw」

『一般的な決められた価値やろ?どれもこれも間違っとらんし、正しいも間違いもないなぁ。これが正しいならみな正しいし、これが間違いならみな間違いっていう見方が一番正しい気もするわw』

「あーわかるわかる。そういうとこ描いた作品だった。って珈琲さめるw」

 

鑑賞後、そんな会話で盛り上がりました。

 

※後で調べてみたら、監督が若いころにお書きになった作品だそうで!

そりゃそうか。。大人になってもその感覚がバリバリに残ってしまっていたら、普通の生活歩むの大変!になっちゃうかw

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この作品、もうひとつ大切な部分があるのです。それは「教育」です。

 

私はあまり勉強というものを過剰に問題視する人間ではないものの、物事の基礎だけはとても大切だと常日頃感じています。例えば数学というのは正しい答えが出る仕組みですが、答えよりも大切なのは計算式の立て方であり、どのように見えない部分を正解に導いていくか、という思考上の組み立てが出来ないと正解を引き当てる事が出来ません。これは生きる上でとても重要です。なぜそうなるのか、が理解出来ない以前に、なぜそうなるかの考え方を知らない・出来ない、となると、必ず生きる上でも不正解を引き当てるから。少しでも教育という物が備わっていれば、失敗から成功を掴むことも可能ですが…全くの『無』であった場合、自分で自分を守れない。それが失敗なのか、間違いなのかどうかも判らなければ、当たり前に正解は『その状況が全ての答』となるので、勉強が出来るか出来ないか、そんな事は横に置いても、集団性というのもある程度は必要で(他者がいないと学べない事もある)学校で学べる事が許される子であれば、おばちゃん悪い事は言わない!最低限の基礎だけでも学んでおいて損はないよ!嫌なら保健室で過ごしてもいいから!と思うのです。心が綺麗、純粋、何も持たない、それって素晴らしい事だけれど、後に放り込まれる場所は社会という名の集団性。なかなか世知辛い場所なのですよ。もう本当に最低限でもしておいて損はない!!そう思いますw

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さて、この見方から行くと、最終的に勝つのは知性か本能か、となるんですが

他者との共存を求められる社会で必要なのは知性と理性

個人戦で強く生き抜くには本能が勝る

と思ったのが、最終的な感想です。このどっちも両立できる物をどちらも必要ない!そんな事なら僕は大人になりたくない、と言ってしまえるのが、若さ、という事で。

 

一番に必要なのは「これをこうしたらどうなるか」という思考上での構築と、人の命も自分の命も同等で、命自体は与えられた物でもあるので好きに死期を選ぶのはご法度、死ぬも生きるも個人の自由だとしてもそれは大変罪深く、生きるのは自分でも生まれる選択は出来ず、生きているからこそ苦しみも喜びも感じられるため…例えその時が辛くとも!過ぎてみれば何てことなかったなーと思えたり、そんな事を考えて悩んだ自分を恥じてみたり…と感覚の鈍る大人に嫌でもなれる!老いればそんなパワーなくなるwそうなったら占めたものだ、ととりあえず間近に目標を持って生きる事を若き悩めるウェルテルみたいな子たちにはそれをおススメ!w

 

命を与える側も人の一生には大変な責任があるので戸籍くらいは取得してあげなければ虐待も虐待の最上級、そんな思いはさせてやるな、という事かな。

 

以上、本日みた『タロウのバカ』でした。長々と。

(他にもいっぱい溜めてんだけど、待ってくれ…忙しくて死にそうなんだ…)