映画と本と、珈琲と。

主に映画と本についてのブログです。

📖【読了】ボダ子/赤松利市📖

Wow(*‘∀‘)blog開くの久しぶり!

ド田舎暮らしの為、現在近くに映画館も本屋もなく…。

新作や新刊には無縁気味な生活ですが、この度!私が2018年の年間読書で推しに推していた赤松利市先生の"藻屑蟹"が徳間書店さんから書籍化

そしたらあなた、新しいのがいつの間にか出ていたわ( ;∀;)

というわけで、本日はその新刊『ボダ子/赤松利市(著)』について。

 

内容紹介

私は、“あの町"で娘を見殺しにした。
63歳、住所不定の新人。「100%実話」に基づく、正真正銘の問題作。

バブルのあぶく銭を掴み、順風満帆に過ごしてきたはずだった。
大西浩平の人生の歯車が狂い始めたのは、娘が中学校に入学して間もなくのこと。
愛する我が子は境界性人格障害と診断された……。 
震災を機に、ビジネスは破綻。東北で土木作業員へと転じる。
極寒の中での過酷な労働環境、同僚の苛烈ないじめ、迫り来る貧困。
チキショウ、金だ! 金だ! 絶対正義の金を握るしかない! 
再起を賭し、ある事業の実現へ奔走する浩平。

しかし、待ち受けていたのは逃れ難き運命の悪意だった。

未体験の読後感へと突き動かす、私小説の極北。

 

読了後、色んな方の評価や出版社書評等を拝見させて頂いたのですが、私自身の意見は皆さんと正反対でして参考になるのやらどうなのやら…(;'∀')

 

面白い・面白くない・誰が善い悪い…そんな事一切関係ないカテゴリー、それが私小説だと思うんです。人の生き様に気軽に手軽に口出しできる、考える程人生はそう甘くもなく、これを最低だ、最悪だ、と思う方はきっと幸せに生きてこられた方達でそれを噛み締めてこの先も歩まれた方が良いと思える、そうした作品でした。

 

ラストは泣いてしまった…。え、で、どうなったの、現在は?という印象を残したまま、届きそうな手が届かず、事態を拒んでも祈っても届かない時がある。

とても苦いラストでした。

 

物語は・赤松氏自身が娘さんを授かるまでの生き方・生業とする仕事・娘さんの事

この三つで進みます。

 

ここでこれから読まれる方の為に解説を。

この物語のキーワード。ゼネコンです。

ゼネコンというのは簡単に言うと何なのか。

→建設業界における総合建設会社の事で、例えばこれをオーケストラに置き換えると

演奏曲(ビルや橋や大きな公共建造物)

ゼネコン→指揮者 楽団の各楽器担当パート→それぞれを得意とする各工務店

と割り振られます。

 

昭和生まれの爺や婆には結構身近なこの言葉、今はどちらかというとクリーンでピュアというイメージがある為にそこを読み込む事が困難になってしまうとこの物語の伝えたい部分への印象がぼやけます。

私たち世代には、言い方悪いですが…あまり良い印象がない…wやってる事がエグイ!という印象のままだったので"郷にいては郷に従え"です。仕方ない。

言いたい事解ります?

公共事業や国絡みで巨額の金が出る、となると…間に入る人間が増えれば増える程、末端には正しくその分配がいかなくて当然…なんて事も起きるわけですね(汗)

 

そこがよく理解できていなければ、この人酷い、この人何やってんの、めっちゃ人絡んできたし解かり辛いわ!となってしまうかもしれなひ(;'∀')

 

■考えさせられるに違いない作品■

もし自分が自身の私小説を発表するとなったらどうでしょうか。

きっと自分の事はよくみられたいが為、ここまで人間の持つ弱さをさらけ出す事が出来るのかどうか。その意味で非常に考えさせられました。人の根底には常に弱さという物がつきまとい、それを払拭するが如く日々様々な物で彩ろうとする。それが夢であったり、仕事であったり、はたまた、肩書(ステータス)やお金の人もいる。

 

これをお書きになった赤松氏はその過ぎ去った日々を紙の上で懺悔なさっている、というように感じました。何かを得ようとすると何かが欠落し、うまくバランスの取れない中でも捨てられない愛情や義理もあり…何かを成し遂げる事に必死だった、でもうまくいかなかった、というような過ぎた日々への懺悔。

 

当然、許せなかった事も多々お有りだったでしょうね。ただその中に、一番に許せぬはあの時の自分自身と全体で語っておられるようで自業自得と呼ぶよりは、生き方の不器用さがところかしこにある、と思える物語でありました。

 

建設業に携わった事のある方、頑張っていてもどうしてもいつも悪い方向にその結果が出てしまう方、人生の厳しさを感じた事のある方には是非おススメ!

 

境界性人格障害をお持ちの娘さんが出てくるので、その方面でご興味のある方には申し訳ないですがおススメは出来ないかも。精神医学の専門書ではない事が大きな理由であり、話の要は娘さんではなく赤松氏の歩みの傍に娘さんがいらした、という形となるので行動の把握としてはアリ、ですが、娘さんの行動の観察日記ではないので、お目当てからは大きく外れてしまうかも💦

 

理性的に生き、道徳的に生きるとは、環境により難しい事もある。

時の流れへの懺悔を感じる、そんな一作で御座いました。ん~!苦い!苦虫🐞